小説 > Lil’Fairy Original Novel:03
著者:空歩人
執事たる者、身だしなみが大切である。特に外部の誰かと接する機会が多いわけではないのだが、きちんとした服装で職務に就くことは協会で働く妖精たちの規律にかかわる。彼は常日頃からそう思っていた。
シワ一つない黒の燕尾服に、ピシッとアイロンのかかった白いシャツ。蝶ネクタイは黒。そして、黒いシルクハット。鏡に映る姿に問題はない。
「これでよし」
ヴィスマルクは頷くと、部屋をあとにした。
階段を下りて、玄関の手前にある執事室を目指す。
途中、何人かとすれ違いざまに挨拶を交わす。誰もが清々しい表情をしている。これなら今日も素敵な日になるだろう。ヴィスマルクはそんな風に感じた。
「あれ?」
執事室の手前まで来た時、背後から声がした。
黒いワンピースを着たヴェルである。
「おはよう、ヴェル」
「あ、おはようございます」
「どうかしたのかね?」
「袖のボタンが……」
「うん?」
ヴェルに指摘された燕尾服の袖に目をやると、三つ付いているボタンのうちの一つが取れそうになっていた。
「おや。さっき鏡で見た時はなんともなかったんだが……」
そう言うと、ヴィスマルクは困った表情を見せた。
「わたしが付けて差し上げますよ!」
ヴェルがニコッと笑った。
「きみが? さて、どうしたものか……」
「何を遠慮してるんですか?」
「いや、遠慮しているというわけではないのだが」
「まさか、わたしにボタンを付けさせると何かまずいことでもあるんですか?」
ヴェルは頬を膨らませ、両手を腰に当てて怒っているポーズをした。
「そういうわけじゃ……」
「だったらブツブツ言ってないで、早く脱いでください」
ヴィスマルクはヴェルの勢いに負け、しぶしぶ燕尾服を脱いだ。
執事室のソファでボタン付けをするヴェルは驚くほど手際がよかった。鼻歌をうたいながら、あっという間にボタンを付けてしまった。
「わたし、こういうの意外と好きなんですよね。お掃除は当たり前ですが、日常のこまごまとしたことをちょちょっとやるの。なんていうか、こう見えて、家庭的っていうんですか」
自分で言ってしまうのはどうかと思うが、確かにヴェルには家庭的な一面があった。協会の中では活発な女の子として知られているが、裁縫ばかりではない。洗濯や料理の腕前も他の妖精たちの群を抜いている。先日も仲良しのエルノとリプーに手料理を振る舞ったそうだが、その味はレストランを開けるぐらいだったそうだ。
「お掃除の妖精が家庭的であることは歓迎すべきことだよ。派遣先の方への気遣いに繋がるからね」
ヴィスマルクの褒め言葉に、ヴェルは微笑んだ。
「そういえば、ヴィスマルクさん。こういうことを訊いてしまうのってちょっと失礼かもしれないんですけど……」
「うん? 何かね?」
ヴェルは「ゴホン」とわざとらしく咳払いをすると、ヴィスマルクのことをまじまじと見つめた。
「ヴィスマルクさん、一体どうして独身なんですか?」
あまりの唐突な問いに、今度はヴィスマルクが「ゴホン」という番だった。
「どうしてって言われてもね……」
「まさか長い間ずっと想いを寄せている方がいらっしゃって、その恋が実るのをひたすら待ち続けているとか?」
ヴィスマルクは返事に困り、天を仰いだ。
「あ、図星ですね」
ヴェルは悪戯っ子の表情丸出しで、尚もヴィスマルクを問い詰めた。それは獲物を手中におさめた猫のようである。
「で、誰なんですか?」
「それは、えーと……なんていうか、あれだな……」
もはやヴェルのペース。逃げ場はない。
「もしかして?」
「……もしかして?」
「もしもし、もしかして?」
「いや、その別にわたしは何も……」
ヴィスマルクは完全に困り果てた。はじめにお茶を濁したのが自分の失敗だと気づくのが遅すぎた。
「それって、わたしのことだったり?」
「へぇっ?」
ヴェルは「なぁーんちゃって」と舌をペロッと出した。
「もう、ヴィスマルクさん。女性の話になると、あたふたしすぎですよ。ボタン付けくらいわたしがいつでもやります。でも、早く身の回りの世話をしてくれる家庭的な女性を見つけて結婚してくださいね。そうでないと、エルノとリプー、そしてわたしも安心して登録者様のところへお手伝いに行っていられませんから」
そう言うと、ヴェルはウィンクした。
やれやれ。これまたヴェルにしてやられたてしまった。しかし、いつの間に立場が逆転したのだろう? 今まで自分はあの娘たちの親代わりだと思って心配してきた。しかし、彼女たちの方も自分を本当の親のように心配してくれていたとは。
ちょっぴり嬉しいヴィスマルクなのであった。
終