小説 > Lil’Fairy Original Novel:01
著者:空歩人
プリミューレ妖精協会の執事であるヴィスマルクは、その日最後の案内状を送る準備を終えると、思わず溜め息をついてしまった。
「あぁ。溜め息をつくのはもったいないですよ。幸せさんが逃げちゃいますから」
作業を手伝ってくれていたお掃除の新人お手伝いさん・リプーが、それを見て言った。
確かに、ヴィスマルクも溜め息をつくと幸せが逃げてしまうという話を聞いたことがある。しかし、それは本当なのだろうか?
疲れを感じて溜め息をついてしまう場合はどうなのだろう。働きすぎなのか、それとも歳のせいなのか。
「何故そう思うんだい?」
「だって、みんな言ってますよ」
「みんな言っているって言われてもね……」
ヴィスマルクはリプーの答えに苦笑いした。
この娘の返事は研修生の頃からいつも同じである。「みんなが言っているから」と誰かの言葉を鵜呑みにしてしまう。素直といえば聞こえはいいが、自主性がないのは問題だ。これからお手伝いさんとして一人前になってもらうには、そろそろ自分の目で確かめ、自身の考えをはっきりと口に出すようにしてもらわないといけないかもしれない。
「きみはどう思うんだい?」
「うーん……。溜め息をつくときって、肩を落として、下を向いて、『はぁ』って力ない声を出して、なんだか寂しいですよね。そんな姿を見たら、幸せさんは近寄りたくなくなるんじゃないかなって思います」
「そういうものかな?」
「はい」
「それじゃ、きみ自身が溜め息をついてしまったときはどうなのかな?」
「え?」
「たまにはそういうときもあるだろう? やはり幸せさんはきみから逃げていっているのかな?」
「えーと……」
リプーは大きな緑の目をぱちぱちさせながら、ヴィスマルクからの想定外の質問に戸惑いの表情を見せた。
「どうなのかな?」
「……幸せさんが逃げちゃったら嫌だなぁ」
「あははは」
ヴィスマルクはリプーの言葉に思わず笑ってしまった。
「わたし、何かおかしなこと言いましたか?」
「いやいや、そういうわけじゃない。きみの返答があまりにもきみらしくて、ついね」
「わたし、らしい?」
リプーはヴィスマルクの言わんとする意味が解らないらしく、さらに大きな緑の目をぱちぱちさせた。
「確かに、きみの言う通り、幸せが逃げちゃったら、誰もが嫌だって思うだろうね」
「……はい」
「だったら、溜め息をつかないようにするにはどうしたらいいんだろう?」
「うーん……」
今度はリプーの眼差しが真剣になった。
「わたしだったら、お掃除します。心を込めて。ゴミひとつ落ちていない、ピカピカに輝いている床。そんな部屋にいれば、きっと溜め息をつくことなんて忘れてしまいますよ」
リプーは愛くるしい笑顔を見せた。
「なるほど」
お掃除するということには色々と意味があるが、彼女の答えはお掃除の妖精ならではものでないだろうか?
この娘は案外自分が心配しているよりも成長してくれているのかもしれない。ただ、ちょっとマイペースなだけだ。
「では、わたしはそろそろ失礼してお部屋に戻りますね。おやすみなさいませ」
「はい、おやすみなさい」
ヴィスマルクはリプーが出ていった後、自分の書斎を見回した。
「お掃除か……」
さほど汚れているとは思わないが、書類や資料が並んでいる本棚の上には、うっすら埃が溜まってきているような気がする。長年愛用してきたブラックウォルナット製の机の上も、物が無造作に置かれている。
これはいかん。妖精たちを束ねる執事として、こんな書斎では恥ずかしいではないか。明日は少し早く起きて掃除をしよう。
ヴィスマルクはデスクランプを消して立ち上がった瞬間、「はぁ」と思わず溜め息をついてしまった。
……やれやれ。思ったそばからこれだ。やはり、わたしの溜め息は歳ということにしておいた方が良さそうだ。
年齢を重ねていくにつれ、言い訳上手になっていくヴィスマルクであった。
終